洗濯機を机にベランダから

机じゃなくてベランダの洗濯機にパソコンを置いて書いてます。どいせ洗濯機の上で作られた記事だって、さらっと読んでもらえると◎

フリーターの本業

  

「俺、フリーターなんだ。しかも26歳。やばいだろ?」
手元を見つめながら、自傷気味に笑っている。
「何でだと思う?」
自己紹介の代わりに、ちょっとしたクイズを投げつけられた。
目元ギリギリの前髪から、一重の愛想のない目が、挑発的にこちらを見ている。
まんまと好奇心を掻き立てられて、そうであってほしいという願いと、そうであってほしくないという願いを半分ずつ込めて、
「もしかして、夢追い人なの?」
と答えた。
どうやら、答えは当たったみたいだし、彼もその答えを気に入ったみたいだ。

 

彼は、上野に住んでいた。
レトロな風貌のマンションの2階に上がってすぐのところに、彼の部屋がある。
「まぁ、汚いけど、どうぞ。」
初めて上がる部屋に警戒心と好奇心が混ざって、ついつい抜き足差し足になる。
案内されるがまま玄関に上がっていくと、背後でゴンッと何か落ちた音がした。
びっくりして振り向くと、足元にドアノブが転がっている。
一瞬状況が飲み込めない。
「ごめん!ドアノブ取れちゃって!ていうかドアノブって取れるの!?」
「ああ、いつものことだから。閉めた勢いで取れるんだよ。だからゆっくり閉めてね。」
いや、ゆっくり閉めればいいという問題ではなくて、ドアノブが取れるという状況がやばい。
焦っている私とは裏腹に、手慣れた様子でドアノブをドアに付けている。
彼は、なんてことないさ、とヘラヘラ笑っているが、もうドン引きだ。
ドアノブの取れる家に招待されることなんて、後にも先にもないだろう。

 

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彼の部屋に一歩入ると、部屋は散らかり放題で、積み上げられたダンボール、大量のたばこの吸い殻、黄色いシミのこびりついた便器、ワイヤーの飛び出たベッド、枯れた花束、次から次へと彼の生活の様子が見えてきた
「よくこんな汚くできたね。」
私が2回目のドン引きをしていることはお構いなしのようで、足の踏み場なんてないくせに、適当に座ってと促された。
座るところを探していると、別に仕切りがあるわけでもないが、一箇所だけ一定のスペースが保たれているところを発見した。
こんなに汚い部屋でも、そこだけちゃんと、聖域だった。
生活の場に共存するこの空間が、彼の小さなアトリエだ。


アトリエには、絵の具チューブが散在していて、キャンバスがちょこんと立っていた。
足元のパレットには、何色とも言い難い色が所狭しと並んでいて、このパレットも一つの作品のようで面白い。
どうやら彼は、明るい色よりも深くて暗い色が好みらしく、気を緩めたら、そのダークな色に飲み込まれそうな気がした。
壁いっぱいにずらっと過去の作品が立て掛けられていて、その量にゾッとする。
一体どのぐらいの時間とエネルギーを、この絵達に費やしたんだろう、どんな気持ちでキャンバスとにらめっこしたんだろう。
しかも、たった一人で。

 

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「こんなにたくさん描いてるんだね。」
「まぁ、画家だからな。」
「一人で描いてて、さみしくない?」
「まぁ、俺は画家だからな。」
と、また自嘲していて、どうやら「画家だから」が口癖みたいだ。

 

素人ながらにも、どの絵にも彼自身が宿っている気がする。
芸術家としての社会での生きづらさ、何かを貫くことで生まれる苦しみと挑発、孤独、もがき、ジレンマ、キャンバスに塗っては重ね、重ねては塗っている。
だから、彼の絵は、全体的に孤独な感じがする。
光やエネルギーを放出するというよりは、彼のさみしさが、見る者の心を飲み込む。
さみしいけれども、引き込む力がすごく強いから、弱々しい印象ではなく、むしろ強気、強引な印象だ。
「なんでフリーターなんかしてる思う?」と最初に質問してきたときと同じように、彼の絵も、強引に惹きつけ、そして喉元ギリギリに問いを突きつけてくる。

私達は、せわしなく過ぎる日常の中、どれだけ自分自身と、そして人生と向き合えているだろうか。ふと、その世界を徘徊してみたくなる。そして、自分の世界と、現実とのバランスを取っていくことは、想像以上に忍耐力がいるんだ。
 

商業用の消費されるデザインではないから、大衆に愛されるわけでも、お金になるわけでもない。
同じように油絵を描く画家同士でも、絵のスタイルに強いこだわりがあるゆえに、友達になれることはめったにない。
歴代の彼女達は、経済的な理由で両親に反対されたからと、決まって同じような理由で別れを告げられる。
芸術家って大変なんだ。
生活水準とか、社会的地位とか、人からの理解とか、金をかなぐり捨ててまで絵に向かう人生は、リスクだらけでアホに映るかもしれない。
だけど、彼はいつも真剣で、いかにいい絵を描くかが、心底大事なんだ。
「画家」この一言で、すべてに無頓着になれるほど、すべてを捨ててもいいと感じれるほど、彼にとっては偉大な作業なんだ。自分の人生に真摯に向き合った結果が「画家」で、それが彼の人生の形のようだった。

 

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今は、銀座の公募展のために、絵をせっせと描いている。

 

「次は深海をテーマに絵を描くよ。
深海ってさ、水と水が重なり合って水圧が生まれるじゃん。
光も届かない、酸素もない、水の重みで人もたどり着けない。
まるで人の心みたいじゃね?」

 

ドアノブの取れる小さなアトリエで、また新しい絵が生まれようとしている。

 

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モテるバンドマン君はボディタッチをしない

 

バンドマン君と最近友達になった。
今日コメダ珈琲でお喋りしていたのだけど、聞く限りこの子はやたら女子にモテる。
わ、ネタになるかも、と下心むきだしでバンドマン君に質問してみた。

「なんでそんなにモテるの?何かテクニックとかある?」

普通はみんな恥ずかしがって濁すけど、その回答が、今回はちょっと新鮮だったので共有。

「俺ね、ボディタッチしない」

ほお!
安いモテテクが流通してしまっているせいで、
腰に手をまわしてエスコートしてくるレディファースト勘違い野郎とか
髪サラサラだね、と言って触ってくるプライバシー0野郎とか
狭い道を通ろうとするとき、ちょっとどいて、と必ず肩を触ってくる野郎とか
「お前これ好きだろ」みたいな顔して無許可に触れてくる男性が増えてきている中、これは新鮮だった。


スキンシップのつもりでも、レディファーストのつもりでも、関係値のできていない男性からされると違和感しかない。
人は、意外と感覚が鋭くて、そのボディタッチにはちょっとでも下心が籠もっているのかどうか、敏感に嗅ぎ分けることができる。
頼んでもないのに、安い下心込みのモテテクを披露される身にもなってください。
私じゃなくて他の女で効果があるか実験してください。
と最近もやもやしていたので、好感度が高いです。


「でも、唯一触るときがある。」


とバンドマン君。
そんな韓流な塩顔して、やっぱり触るときは触るんですか。
そんな韓流な塩顔して、これで女はきゅんとする、みたいなエセ正攻法をあなたも語ってしまうのか。

「ボディタッチというか...」

バンドマン君いわく、誰とデートしていても、どんなデートコースでも、その触る機会はやってくるのだが、それは、女性と2人で道を歩くときだそうだ。
確かに、どんな女性とどんなデートをしても必ず一緒に道は歩く。
下手したら、デートの大半を歩いて過ごすこともあるかもしれない。
バンドマン君は、そのとき、必ず女性を歩道側に置くように気をつけているみたいだ。
でも正直、女性は歩道側に、なんて王道のような気もしたけど、これ、バンドマン君にされたときがあって、すごく印象に残っている。

一般的に、男性は「黙って」歩くときのポジションを車道に合わせて左右に移動するけど、バンドマン君は女性の袖をクイっとひっぱって移動させる。

黙ってポジション移動させられても、さりげなさすぎて気づかない場合が多いし、男性がそうするのは当たり前でしょ感が出てしまう。

だけど、バンドマン君の場合は、歩いてるときにいきなりグイっと引っ張られるもんだから、ちょっとびっくりする。
「あ、私のために歩道側に引っ張ってくれたんだね」と記憶に残る。
本当にささやかな違いなのに、あのときは、守られてる感がすごかった。


「純粋に、好きな女性は守りたいと思うよ。
エスカレーターに乗るときも、俺は後に乗って、女性が万が一転んだときに支えられるようにしたいし、エレベーターに乗るときも、俺は先に乗って、人でぎゅうぎゅうの中、変なことされないように女性は視界の中に置いておきたいし。
それにさぁ、もし自分のせいで、車に轢かれたらやだもん。」

下心とかモテテクとか、そういう下世話な感覚でバンドマン君はやっていなくて、単に「好きな女性は守りたい」って思いから「グイっと」やっているらしいです。
欲望のボディタッチよりも、思いやりのボディタッチの方が、印象に残るんだなぁ。

 

女性の自立がよしとされてる時代の中で、女性の貞操感も低くなってきている中で、自分の人生自分の2本足で立ってやる、て意気込んでる女性も多い中、「好きな女性は守りたいよ」ていう言葉は殺し文句だと思う。

石持って、木の実擦って、草で身体覆ってた頃から、女性だけだは生きていけないことは、万国共通、明白だ。こんな時代に聞く「女性は守りたい」ていう言葉に、遺伝子レベルでグラつかない女子はいないだろう。

 
ただ、バンドマン君の守りたい女性は大量にいるので、器はただのチャラ男です。

atこれは洗濯機を机にしながらベランダで書いています。 

 

 

葬いの顔面パックが、スタートダッシュのきりどき

夜、眠れないときがたまにやってくる。
昼寝しすぎたからとか、明日楽しみにしてる予定があってアドレナリンばんばんだからとかじゃなくて、目をつぶっていても頭だけが働いて、あれこれ考え事をしてしまう日。
やけに天井が高く感じて、暗闇と体が一体化して、もう脳みそまで暗闇に浸ってしまうんじゃないかって一瞬でも思う日。
毎日が始まって、終わって、その淡々と過ぎていく日常の合間に、こういう日がときたま訪れるのだ。

寝れないもんだから、私はしょうがなく起き上がって、小さめのライトをつける。
そして、夜な夜なスキンケアを始めたり、ヒップラインに効果的な筋トレをしたり、ラインがきてないか5分おきにチェックしだしたりする。
それが一通り終わると、やっと眠気がやってきて、気がついたら携帯を握りしめて寝落ち。
そして起きたとき、携帯を握ったまま寝ていたことと、さらに、携帯を意外と強く握りしめていたことに2度びっくりする。
こういう日。

本当は体も脳も疲れてるはずで、明日の朝「あのときの20分を、朝の二度寝用に繰り越したい」と思うことは分かりきっているはずなのに、眠気はいつもと同じリズムでやってこない。
薄暗い部屋で顔面パックして、5分おきにラインチェックとか、もうホラーだ。

眠りたいのに眠れない日。
でも本当の本当は、眠れないのではなく、眠りたくない日。
本当の本当は、しょうがなくスキンケアに勤しんでいるわけではなく、あえて勤しんでいる日。
眠気がくるまでの暇潰しでしているのではなくて、このまま今日が終わるのを勿体無く感じていて、その虚しさの埋め合わせするためにしていたのだ。
このまま目を閉じて、次開けたときに、愛すべき今日があっけなく去っていることを想像すると「惜しい」のだ。
もし、今日を完全燃焼できていたなら「惜しい」とは感じないはずだ。
二度とやってこない今日を、存分に愛した満足感と感謝で眠りにつけるんだと思う。
でも、私は今日が終わる間際になって、意味もなくスキンケアを始めたり、筋トレをしたり、SNSを徘徊したりして、完全燃焼できなかった今日を手頃なもので埋め合わせをする。
 「惜しい」と感じている自分の気持ちを、自覚させずに誤魔化すことができたら安心なのだ。
あぁ往生際が悪くて、ダサい。

完全消化できなかった虚しさとか、あっけなく終わってしまう寂しさって、本当に悲しい。
小学生の頃、夏休みのラジオ体操にちょっとだけ寝坊して行けなかったときの、午前中の手持ち無沙汰な感じと少し似ている。

パックは、私にとって、消化してあげれなかった今日への葬いの儀式。
そして、今日の終わりにパックをしたからといって、不完全燃焼な1日の清算はできない。

なぜ、「寂しい」と思っている自分に気づかなかったんだろう?

たぶん、虚しさとか寂しさとか、胸がぽっかり空くような感情は自分の中にも流れるんだと、認めたくないのだと思う。
強くあるために、そういうネガティヴな感情は邪魔なのだ。だから、そこへの感度は低い。
今日も笑顔でいるために、なるべく感じないように、邪険に扱う。

でも、醤油が料理の基本のさしすせそから外せないように、寂しさとか虚しさも感情の基本だ。

嫉妬、寂しさ、孤独、虚しさ、虚栄心
そういう重くて暗い感情は、全部現状に対する不満から来ているもので、「今に満足してないんだ」て気づかせてくれるものだ。
いつでも感情は素直で、本心に気づけよ、とサインを送り続けている。

目は背けずに、ネガティブな感情にあえてスポットを当ててみることで、満足していない強欲な自分を自覚できて、1歩、次の展開に進める。
スタートダッシュは、勢いのあるものばかりじゃない。
不満足の自覚を重ねて、じわじわ、じわじわスタートするものもある。
自分の感情の感度を低くしているからこそ、日頃のふとした行動の変化で、自分の本心を汲み取っていきたい。そうでもしないと、本心なんてすぐ逃げていく。

本心は簡単に感じれるものではない。体裁のいい、かっこいい自分を演出をるために、本心にすぐフタをしてしまいがちだから、丁寧に耳を傾けていないと、どの思いが本心か分からなくなる。

だから、眠れない夜がたまにやってきてパックをしだすようなら、「今日を愛してあげれなかった」ことの合図だと思うようにしている。

自分の本心を探れば、不満足に感じることは意外とあるもので、自分の変化のタイミングは日常に転がっている。
自覚は、変わることの合図だ。

atこれは洗濯機を机にして、ベランダで書いています。

近所のピアノは結局△

 

今豊島区に住んでて、自宅は駅から徒歩10分ほど。

 

休日に家でのんびりしていると、朝夜関係なくピアノの音がよく聞こえてくる。
それも、小学生が習いごととしていやいや弾いているような、生ぬるい演奏ではなくて、本格的なクラシックの演奏だ。
きっと楽譜は音符まみれで、指がもげてしまう程の難曲なんだと思う。

 
私も、高校まではコンクールで賞を取るくらいにはピアノに打ち込んでいたから、音を聞けば、どの程度のレベルかは分かる。 最近は、聞こえるたびに手を少し止めて聞いていて、ちょっとした日常の楽しみなのだ。
この艶っぽい音を出す人、ちょうどいい間で次の音を焦らす人は、一体どんな姿形で、何歳で、どんな家に住んでるんだろう?
いっそ女性じゃなくて男性だったら萌えるな〜。
平気で数時間ぶっ通しで弾き続けるから、どこの家から聞こえてくるのか気になってきて、いっそのこと探すことにした。
音を頼りにてくてく散歩に出かる。
ストーカー気質あるのかな、と行動に移した自分に引きながらも、気分は探偵だ。

 

音が近づいたり遠ざかったりしながら、なんとなくの場所を探っていく。
自宅からそう遠くはないが、家と家が密集していて意外と特定できない。
すぐそばから音は聞こえるはずなんだけど、豊島区は庶民の住宅街だから、ピアノが置いてありそうな綺麗な家すら見当たらず、結局、私のしょぼい感度の耳じゃたどり着けなかった。
私のストーカー根性は実らずに、変態の散歩は何の展開もなく終わってしまった。

 

この文を書いているたった今も、ピアノの音が聞こえている。
最近は、同じフレーズを何度も反復練習していて、同じところで間違えて、「次こそは」と弾きなおしては、また同じところでつまずいている。
何かの課題曲なのか、ただ好きで選んだ曲なのかは分からない。
一人暮らしなんだろうか、それともまだ学生で、実家のピアノで弾いているんだろうか。
そんな正体も分からないピアノの音に、体をゆらしている。

 

素敵なピアノを鳴らす人に会いたかったが、正体が分からないまま、うやむやにしておくのも悪くない。
なんだか現代は、はっきりさせなきゃいけない場面に遭遇することの方が多いけど、何もかも、はっきりとさせるのは、たまに鬱陶しいんじゃないか。

 

好奇心の赴くまま行動した結果、納得する答えを見つけたなら、それは素晴らしいことだし、分からなくても、それはそれでワクワクできるから良い。
正体が分からないからこそ、好奇心の湧く余地があって、惹きつけられる。
分からないからこそ、知りたくなって、ついつい行動してしまう。
「正体不明」でグレーゾーンであることは、サンカクじゃなくて意外とマルなのかもしれないな。

マルでもない、バツでもない、そんなサンカクなグレーゾーンの正体はあえて暴かずに、好奇心にそそられるがまま、妄想してニヤニヤするのもなんだか楽しい。そのグレーゾーンでゆらゆら揺れること自体を楽しめたら、きっとどんなことでも嬉しい。

気を緩めて「分かる分からない」「知る知らない」の間をゆっくり旅すればいいのだ。

分かりやすく言うならば、この状態は、着衣セックスと似ている。 服を一枚一枚脱がせて、身体の輪郭、ディテールをはっきりさせて楽しむのもいいけど、肝心なところは見えない下着だけ着けた状態を楽しむような、じれったさとか、もどかしさとか、エロい余裕もいいなと思う。たまには変態スタンスもアリだな、とクラシカルな音楽を聴きながら思ったわけです。

人生は、たまに着衣セックスでいい。

atこれは洗濯機を机にしながらベランダで書いています。

 

 

 

フェラガモちゃんの代役

 

木曜日に自転車を盗まれ、月曜日にフェラガモのお気に入りの靴が磨り減って穴があき、火曜日に彼氏と別れた。
そして友達に慰めてもらおうと水曜日、寝坊で約束をすっぽかされた。

 

なんなん!ついてないな!
お気に入りのものがどんどん私から離れていくようで、本当に悲しい。

 

フェラガモの靴は、ショップで買ったら一足8万くらいするものが、福岡の古着屋さんで1万ほどで買えた。
黒のシンプルなヒールにゴールドのリボンがついていて、ジーンズにもオフィスカジュアルにもぴったりなんだ。
古着屋さんで見つけて試しに履いたとき、自分のサイズにジャストフィットだった。
即買い決定。

 

でも、やっぱり最初は長時間歩くと靴擦れして、帰り道に裸足で帰ったこと数えきれず。
それでもこのフェラガモちゃんは可愛くてしかたないから、頑張ってちょっとずつちょっとずつ皮を自分の足にならしていった。今では、私のブサイクな外反母趾もすっぽりガードしてくれるようになった。

 

それなのに、こんな愛着のある靴が磨り減ってしまった。
そういえば、福岡から東京に来てから4ヶ月というものの、この靴でたくさんの道を歩いた。

 

オフィスカジュアルになってからの出社。
終電を逃して渋谷から白金まで。
新宿駅から出られず駅を端から端までダッシュ。

 

そりゃイタリー製でも擦れるわな。
彼氏とも、福岡から一緒に東京に来てたくさんの道を歩いた。
お互いの譲れない頑固な部分を、ちょっとずつちょっとずつお互いにならしていって、今では最高に居心地いい存在だ。

 

ただ、どんなに大好きでもちょっと歩きすぎたのか、お互い磨り減ってしまった。
フェラガモちゃんと照らし合わせてやたら感傷的になってしまう。悲しい。

 

即お買い上げするほどお気に入りの靴とはもうしばらく出会えないと思う。まあ、靴は金さえあればいくらでも買えるから大丈夫。

 

でも、対人間となると、同じような出会い方をすることなんてないし、代役もきかないし、万能の金も解決してくれない。

 

「靴をたくさん持つ女は浮気しがち」と聞くけど、靴ってよく男性のアナロジーになる。
すごくそうだと思う。
靴は、いつでもどこでも一緒についてきてくれる相棒だから、ちょっと恋人と似てる。
これじゃないあれじゃないと履き比べて、お気に入りの一足を見つける。
今回わかったことは、私は履き潰すタイプ。潰す….。

 

このフェラガモちゃんは修理に出して穴を塞ぐか、次はもっといい靴を買うかは考え中。
フェラガモちゃんは、よくここまで歩かせてくれてありがとう!
男の子も、靴みたいに代役がきけばいいのに〜。

 at これは、洗濯機を机にしながらベランダで書いています。

 

 

結局何の方程式が最強なのか誰か教えてくれ

戸惑っている。

 

「1+1」は、小さい女の子が椅子に座って解いても、おじいちゃんが電車に揺られながら解いても、答えは2だけ。

数学には普遍の方程式があって、それに当てはめればどんな問題でも誰が解いても一発で正解が出る。

でも、私たちが生きるフィールドは、数学の世界のようにクリアではなくて、色々な世界どうしが複雑に絡み合っている。

その分、人の頭の中には色々な尺度があって、それぞれがそれぞれの観点で物事を見ている。

 

好きなことをすることの大切さ
嫌いなことをすることの大切さ
 

喜怒哀楽を表現することの大切さ
感情をニュートラルに保つことの大切さ

 

現状に満足せず、貪欲に求めることの大切さ
現状に感謝して、がむしゃらにこなすことの大切さ

 

こうやって、私一人だけでも場面場面に応じてたくさんの「大切なこと」を学んできた。

「大切なこと」を知っていると、何だか知恵深くなって、無敵モードに突入した気になるが、大切なことが増えるということは判断基準も増えるということだ。

そのおかげで、物事を色んなポイントから見るようになって迷いも増えている。

 

喜怒哀楽を表現することが大切なら、人前でも泣きたいときは泣くのが「いい」し、

感情をニュートラルに保つことが大切なら、人前で泣くのは「だめ」だ。

どの「大切」をあてがうかで、同じ泣くという行為が「いい」か「悪い」か評価が変わってしまう。

見る角度を変えるだけで、泣くことが、いいことにも悪いことにもなりうる。

 

モノサシが増えると当然答えも複数でるようになって。

このモノサシで計れば正解なのに、こっちのモノサシで計れば不正解だ、という具合に、どのモノサシで計るかで答えが変わってきてしまう。

 

一体私は、引き出しにいっぱい入っている、どれも大事なモノサシ達の中から、何を選び取って、何を捨ててしまえばいいのか。

簡単に取捨選択できない。

計るものが大きくなればなるほど、どのモノサシが適切なのか分からず、もうお手上げ状態なのだ。

いっそ、今いる環境とか、周りの人に合わせて、柔軟に手に握るモノサシを変えていければ楽でもある。

つべこべ言わず、さっさと適応してしまえば迷いも消えるし、毎日をシンプルに生きれるはずだ。

そうしてしまおうと、そのモノサシで計って、答えまでの計算式を書き上げようとするのに、途中で大きな違和感が邪魔をしてくる。

色んなモノサシをあてがってはみるが思考停止し、これじゃなかったかと、違うモノサシを手にとってはまた思考停止する。

やっぱり出来合いの即興モノサシではダメなのだ。

ありがたいことに心というのはいつでも素直で、違和感というざっくりとした感覚を持って「なんかそれやだ」とか、好感触というまたまたざっくりした感覚を持って「それはなんだかいい感じ」と、ちょくちょく訴えかけてくる。

 

どの判断基準を持つべきか?て、引き出しの中にあるたくさんのモノサシを選び取っては思考停止していたけど、結局は「そのモノサシじゃないよ」って違和感の信号を出してくれてた自分自身こそがモノサシだったんじゃないか?

 

モノサシは、手で握るものではなく、既に心の中にあるものだった。

その存在に気づくか、気づかないかのお話。

既に自分が大事にしている価値観に改めて気づいて、それを大事に大事にしていけば、もうそれでいいんだ。

ただそれだけを、大事にしていけばいいんだとふっと楽になったわけです。

at これは、洗濯機を机にしながらベランダで書いています。

 

 

 

 

 

社会人1ヶ月目で思うこと。いっそヤモリになりたい。

仕事で、そこそこストレスフルなことを今している。
電話での営業だ。
個人のお宅に、「もしもし」と電話をかけて商材を売る。
タイミングは、奥様が夕ご飯を作っていて油から手が離せないときかもしれないし、赤ちゃんをあやしているときかもしれない。
もしくは日曜日ゆっくりブランチをしているところかもしれない。
各家庭の日常が流れる場所に、プルルルと電話が繋がる。
お客様は、うるさい着信音に動かされて「なんだろ?」と思いながら慌てて受話器を取る。
そして耳を傾けるなり、日常では気にもしていなかった商品の説明を勢い良くされる。この流れが、テレマだ。
DMやCM等々の広告方法では届かなかったお客様に、直接リーチすることができる。
潜在的な客層にPRすることができる。
これが、テレマだ。
一件一件電話をかける作業は地味すぎて、この2017年にそんな仕事まだあるの?って感じだが、DMと比べて生の声を届けられる点や、直接コミュニケーションが取れる点から、遥かに受注に繋がりやすいし、こんな時代だからこそ、テレマに力を入れ始める会社も増えた。

ただ、イメージしただけで、お客様にとってあまりウェルカムな電話ではないのが分かると思う。
元々欲しいと持っているお客様は少ないし、ウェルカムな状態ではないことも相まって、話を聞いてくれる人はごく僅かだ。
だから、アポインターにとって「300コールにつき2受注」というのが常識なのだ。
つまり、300コールかけて、298人には断られる。
断り方は、本当に様々だ。
ただ、口調や語調の強さ、断り文句は違えど、だいたい4パターンに分けることができることに気づいた。

開口一言目でガチャ切りか、こちらの話を遮ってnoと返事をするか、必要か必要でないか話を聞いた上で冷静にnoと判断するか、クレームの4パターンだ。

 

いいアポインターは断られ方もうまいということで、研修中も、この4パターンにメンタルをやられないように「断られ方の練習」を散々した。
先輩達からは「お客様の言葉に怒らない・悲しまないと前もって決めてから出勤している」とか「辛いと感じても、その中に楽しみを見つける」とか「感情はただ外で起きてることに反応しているだけだから、反射的なものにすぎない」とか「お客様は鏡だから、愛想のない対応をされてムカついても、こちらが笑顔でいれば、笑顔が声を伝って、相手も必ず笑顔になってくれる」とか、いかに平常心で笑顔でいられるかのアドバイスをたくさんもらった。
それに、受注率のいいアポインターは、やっぱりいつ見ても笑顔で電話している。
テレマをするにあたって大事なことは「笑顔」と「気持ちよく断られること」なのだ。

 

でも、実際にやってみて、それはモンスターの所業や!と思う。
1日に、298回、ネガティブな対応をされるのはきつい。
自分では気がつかないうちに、営業しているくせにお客様のペースに合わせてしまって断る方向に導いてしまったり、クレームにイライラしてしまったり、雑な対応に悲しくなったり、1コール1コール感情が揺れてしまうのだ。

 

名乗っただけで「もう二度と電話をよこすな!」と言われれば「お前になんかこっちだって二度と電話するかよ!ばばあ」と思うし、「騙されないからな!」と言われれば「騙すために仕事なんてしてない!私はこれでご飯食べてる!」と反発したくなる。
ガチャ切りされれば、行き場を失ったエネルギーが、もやっと不完全燃焼して腐る。

 

こんなに自分って、感情的だったっけ、とほほ、と帰り道肩を落とすのが毎日だ。
数字を取れるアポインターへの道のりはまだまだ長い。頑張らねば。

 

でも、違和感もむくむくとある。
っていうか、そもそも自分の感情を抑えてコントロールしたところで、それって面白いの?ってことだ。
今の仕事は、数字を取るために、負の感情に流されずに平常心で営業し続けることがとっても大事だけど、それをプライベートにまで持ち込みたくない。
悲しいときは泣き叫びたいし、怒ったときは思いっきり睨みつけたいし、文句があればネチネチと言いたい。
嬉しいときはスキップしたいし、楽しいときは「ぶははは」とのどちんこ見せて不細工な顔で笑いたい。
嫌なものは嫌だし、いいものはいい。好き。
自分の感情のままに振る舞いたい。
酔っ払ったときは、男女問わず肩を組みたい。
もっと正直に言葉を吐きたい。
衝動的で、野性的でありたい。
最近は、大人版子供でいたいのだ。すごく。

 

大人版子供って、守るものは守り、破るものは破るってことだ。

 

大人には仕事上、信頼や利益、地位を構築していくために、守らなけれないけない「決まりごと」がたくさんある。
その「決まりごと」は会社が作っているもの、世間が作っているものもあって、それがまた会社や世間というものを作っている。
毎日が仕事と家の往復だと、つい、この「決まりごと」が全てのように見えてくるけど、なにもその「決まりごと」をプライベートや自分の人格にまで持ち込まなくてもいいとも思っているのだ。

 

私の場合、会社では、売り上げのために感情の振り幅は極力抑えた方がイケてるという共通の考えがある。
でも、その考えを自分の日常生活でも守らなくてもいいし、何を言われようが感情のぶれない人になろうと無理に頑張る必要もない。
家のソファで地球が滅亡する映画を見たときは、思いっきり泣けばいい。
「料理に味がない」と文句を言われたときは、いじけてコンビニ飯を差し出せばいい。

 

マダガスカルに住むGeckolepis megalepisっていうヤモリを知ってるだろうか?

何て読むんか分からないんだけど、とにかくこいつはニュータイプのヤモリらしい。笑

普通のヤモリは、敵に捕まえられそうになったとき、尻尾を自分の体と切り離して逃げる。
それでも結構衝撃的なのだが、このGeckolepisは、なんと鱗ごと脱ぎ捨ててしまう。
肉が露出するほどに自分の鱗を一瞬で落としてしまうのだ。
「しっぽだけじゃ逃げ切れないときあるし、いっそのこと皮膚全部脱ぎ捨ててやろうか」ていうその清さと大胆さとグロさが、さすがGeckolepisって感じだ。何て読むか知らんけど。

 

「決まりごと」を守らなくってもいいときは、それが身に染み付いてしまう前に、素早く「決まりごと」を脱いで、すっぽんぽんの自分になればいい。
Geckolepisみたいに、鱗をべらべらと剥がしてつるっつるになればいいのだ。
鱗は再生可能だ。すぐ生えてくる。
だから、安心して剥がしてしまえばいい。

 

社会というものに出て1ヶ月、つま先レベルで踏み出したからこそ、今感じたものがあった。
自分の正直なところの感情は何にも流されず、言葉に残していくのが自分にとっては必要な過程だなぁと思って。

at これは、洗濯機を机にしながらベランダで書いてます。