洗濯機を机にベランダから

机じゃなくてベランダの洗濯機にパソコンを置いて書いてます。どいせ洗濯機の上で作られた記事だって、さらっと読んでもらえると◎

フェラガモちゃんの代役

 

木曜日に自転車を盗まれ、月曜日にフェラガモのお気に入りの靴が磨り減って穴があき、火曜日に彼氏と別れた。
そして友達に慰めてもらおうと水曜日、寝坊で約束をすっぽかされた。

 

なんなん!ついてないな!
お気に入りのものがどんどん私から離れていくようで、本当に悲しい。

 

フェラガモの靴は、ショップで買ったら一足8万くらいするものが、福岡の古着屋さんで1万ほどで買えた。
黒のシンプルなヒールにゴールドのリボンがついていて、ジーンズにもオフィスカジュアルにもぴったりなんだ。
古着屋さんで見つけて試しに履いたとき、自分のサイズにジャストフィットだった。
即買い決定。

 

でも、やっぱり最初は長時間歩くと靴擦れして、帰り道に裸足で帰ったこと数えきれず。
それでもこのフェラガモちゃんは可愛くてしかたないから、頑張ってちょっとずつちょっとずつ皮を自分の足にならしていった。今では、私のブサイクな外反母趾もすっぽりガードしてくれるようになった。

 

それなのに、こんな愛着のある靴が磨り減ってしまった。
そういえば、福岡から東京に来てから4ヶ月というものの、この靴でたくさんの道を歩いた。

 

オフィスカジュアルになってからの出社。
終電を逃して渋谷から白金まで。
新宿駅から出られず駅を端から端までダッシュ。

 

そりゃイタリー製でも擦れるわな。
彼氏とも、福岡から一緒に東京に来てたくさんの道を歩いた。
お互いの譲れない頑固な部分を、ちょっとずつちょっとずつお互いにならしていって、今では最高に居心地いい存在だ。

 

ただ、どんなに大好きでもちょっと歩きすぎたのか、お互い磨り減ってしまった。
フェラガモちゃんと照らし合わせてやたら感傷的になってしまう。悲しい。

 

即お買い上げするほどお気に入りの靴とはもうしばらく出会えないと思う。まあ、靴は金さえあればいくらでも買えるから大丈夫。

 

でも、対人間となると、同じような出会い方をすることなんてないし、代役もきかないし、万能の金も解決してくれない。

 

「靴をたくさん持つ女は浮気しがち」と聞くけど、靴ってよく男性のアナロジーになる。
すごくそうだと思う。
靴は、いつでもどこでも一緒についてきてくれる相棒だから、ちょっと恋人と似てる。
これじゃないあれじゃないと履き比べて、お気に入りの一足を見つける。
今回わかったことは、私は履き潰すタイプ。潰す….。

 

このフェラガモちゃんは修理に出して穴を塞ぐか、次はもっといい靴を買うかは考え中。
フェラガモちゃんは、よくここまで歩かせてくれてありがとう!
男の子も、靴みたいに代役がきけばいいのに〜。

 

 

 

結局何の方程式が最強なのか誰か教えてくれ

戸惑っている。

 

「1+1」は、小さい女の子が椅子に座って解いても、おじいちゃんが電車に揺られながら解いても、答えは2だけ。

数学には普遍の方程式があって、それに当てはめればどんな問題でも誰が解いても一発で正解が出る。

でも、私たちが生きるフィールドは、数学の世界のようにクリアではなくて、色々な世界どうしが複雑に絡み合っている。

その分、人の頭の中には色々な尺度があって、それぞれがそれぞれの観点で物事を見ている。

 

好きなことをすることの大切さ
嫌いなことをすることの大切さ
 

喜怒哀楽を表現することの大切さ
感情をニュートラルに保つことの大切さ

 

現状に満足せず、貪欲に求めることの大切さ
現状に感謝して、がむしゃらにこなすことの大切さ

 

こうやって、私一人だけでも場面場面に応じてたくさんの「大切なこと」を学んできた。

「大切なこと」を知っていると、何だか知恵深くなって、無敵モードに突入した気になるが、大切なことが増えるということは判断基準も増えるということだ。

そのおかげで、物事を色んなポイントから見るようになって迷いも増えている。

 

喜怒哀楽を表現することが大切なら、人前でも泣きたいときは泣くのが「いい」し、

感情をニュートラルに保つことが大切なら、人前で泣くのは「だめ」だ。

どの「大切」をあてがうかで、同じ泣くという行為が「いい」か「悪い」か評価が変わってしまう。

見る角度を変えるだけで、泣くことが、いいことにも悪いことにもなりうる。

 

モノサシが増えると当然答えも複数でるようになって。

このモノサシで計れば正解なのに、こっちのモノサシで計れば不正解だ、という具合に、どのモノサシで計るかで答えが変わってきてしまう。

 

一体私は、引き出しにいっぱい入っている、どれも大事なモノサシ達の中から、何を選び取って、何を捨ててしまえばいいのか。

簡単に取捨選択できない。

計るものが大きくなればなるほど、どのモノサシが適切なのか分からず、もうお手上げ状態なのだ。

いっそ、今いる環境とか、周りの人に合わせて、柔軟に手に握るモノサシを変えていければ楽でもある。

つべこべ言わず、さっさと適応してしまえば迷いも消えるし、毎日をシンプルに生きれるはずだ。

そうしてしまおうと、そのモノサシで計って、答えまでの計算式を書き上げようとするのに、途中で大きな違和感が邪魔をしてくる。

色んなモノサシをあてがってはみるが思考停止し、これじゃなかったかと、違うモノサシを手にとってはまた思考停止する。

やっぱり出来合いの即興モノサシではダメなのだ。

ありがたいことに心というのはいつでも素直で、違和感というざっくりとした感覚を持って「なんかそれやだ」とか、好感触というまたまたざっくりした感覚を持って「それはなんだかいい感じ」と、ちょくちょく訴えかけてくる。

 

どの判断基準を持つべきか?て、引き出しの中にあるたくさんのモノサシを選び取っては思考停止していたけど、結局は「そのモノサシじゃないよ」って違和感の信号を出してくれてた自分自身こそがモノサシだったんじゃないか?

 

モノサシは、手で握るものではなく、既に心の中にあるものだった。

その存在に気づくか、気づかないかのお話。

既に自分が大事にしている価値観に改めて気づいて、それを大事に大事にしていけば、もうそれでいいんだ。

ただそれだけを、大事にしていけばいいんだとふっと楽になったわけです。

at これは、洗濯機を机にしながらベランダで書いています。

 

 

 

 

 

社会人1ヶ月目で思うこと。いっそヤモリになりたい。

仕事で、そこそこストレスフルなことを今している。
電話での営業だ。
個人のお宅に、「もしもし」と電話をかけて商材を売る。
タイミングは、奥様が夕ご飯を作っていて油から手が離せないときかもしれないし、赤ちゃんをあやしているときかもしれない。
もしくは日曜日ゆっくりブランチをしているところかもしれない。
各家庭の日常が流れる場所に、プルルルと電話が繋がる。
お客様は、うるさい着信音に動かされて「なんだろ?」と思いながら慌てて受話器を取る。
そして耳を傾けるなり、日常では気にもしていなかった商品の説明を勢い良くされる。この流れが、テレマだ。
DMやCM等々の広告方法では届かなかったお客様に、直接リーチすることができる。
潜在的な客層にPRすることができる。
これが、テレマだ。
一件一件電話をかける作業は地味すぎて、この2017年にそんな仕事まだあるの?って感じだが、DMと比べて生の声を届けられる点や、直接コミュニケーションが取れる点から、遥かに受注に繋がりやすいし、こんな時代だからこそ、テレマに力を入れ始める会社も増えた。

ただ、イメージしただけで、お客様にとってあまりウェルカムな電話ではないのが分かると思う。
元々欲しいと持っているお客様は少ないし、ウェルカムな状態ではないことも相まって、話を聞いてくれる人はごく僅かだ。
だから、アポインターにとって「300コールにつき2受注」というのが常識なのだ。
つまり、300コールかけて、298人には断られる。
断り方は、本当に様々だ。
ただ、口調や語調の強さ、断り文句は違えど、だいたい4パターンに分けることができることに気づいた。

開口一言目でガチャ切りか、こちらの話を遮ってnoと返事をするか、必要か必要でないか話を聞いた上で冷静にnoと判断するか、クレームの4パターンだ。

 

いいアポインターは断られ方もうまいということで、研修中も、この4パターンにメンタルをやられないように「断られ方の練習」を散々した。
先輩達からは「お客様の言葉に怒らない・悲しまないと前もって決めてから出勤している」とか「辛いと感じても、その中に楽しみを見つける」とか「感情はただ外で起きてることに反応しているだけだから、反射的なものにすぎない」とか「お客様は鏡だから、愛想のない対応をされてムカついても、こちらが笑顔でいれば、笑顔が声を伝って、相手も必ず笑顔になってくれる」とか、いかに平常心で笑顔でいられるかのアドバイスをたくさんもらった。
それに、受注率のいいアポインターは、やっぱりいつ見ても笑顔で電話している。
テレマをするにあたって大事なことは「笑顔」と「気持ちよく断られること」なのだ。

 

でも、実際にやってみて、それはモンスターの所業や!と思う。
1日に、298回、ネガティブな対応をされるのはきつい。
自分では気がつかないうちに、営業しているくせにお客様のペースに合わせてしまって断る方向に導いてしまったり、クレームにイライラしてしまったり、雑な対応に悲しくなったり、1コール1コール感情が揺れてしまうのだ。

 

名乗っただけで「もう二度と電話をよこすな!」と言われれば「お前になんかこっちだって二度と電話するかよ!ばばあ」と思うし、「騙されないからな!」と言われれば「騙すために仕事なんてしてない!私はこれでご飯食べてる!」と反発したくなる。
ガチャ切りされれば、行き場を失ったエネルギーが、もやっと不完全燃焼して腐る。

 

こんなに自分って、感情的だったっけ、とほほ、と帰り道肩を落とすのが毎日だ。
数字を取れるアポインターへの道のりはまだまだ長い。頑張らねば。

 

でも、違和感もむくむくとある。
っていうか、そもそも自分の感情を抑えてコントロールしたところで、それって面白いの?ってことだ。
今の仕事は、数字を取るために、負の感情に流されずに平常心で営業し続けることがとっても大事だけど、それをプライベートにまで持ち込みたくない。
悲しいときは泣き叫びたいし、怒ったときは思いっきり睨みつけたいし、文句があればネチネチと言いたい。
嬉しいときはスキップしたいし、楽しいときは「ぶははは」とのどちんこ見せて不細工な顔で笑いたい。
嫌なものは嫌だし、いいものはいい。好き。
自分の感情のままに振る舞いたい。
酔っ払ったときは、男女問わず肩を組みたい。
もっと正直に言葉を吐きたい。
衝動的で、野性的でありたい。
最近は、大人版子供でいたいのだ。すごく。

 

大人版子供って、守るものは守り、破るものは破るってことだ。

 

大人には仕事上、信頼や利益、地位を構築していくために、守らなけれないけない「決まりごと」がたくさんある。
その「決まりごと」は会社が作っているもの、世間が作っているものもあって、それがまた会社や世間というものを作っている。
毎日が仕事と家の往復だと、つい、この「決まりごと」が全てのように見えてくるけど、なにもその「決まりごと」をプライベートや自分の人格にまで持ち込まなくてもいいとも思っているのだ。

 

私の場合、会社では、売り上げのために感情の振り幅は極力抑えた方がイケてるという共通の考えがある。
でも、その考えを自分の日常生活でも守らなくてもいいし、何を言われようが感情のぶれない人になろうと無理に頑張る必要もない。
家のソファで地球が滅亡する映画を見たときは、思いっきり泣けばいい。
「料理に味がない」と文句を言われたときは、いじけてコンビニ飯を差し出せばいい。

 

マダガスカルに住むGeckolepis megalepisっていうヤモリを知ってるだろうか?

何て読むんか分からないんだけど、とにかくこいつはニュータイプのヤモリらしい。笑

普通のヤモリは、敵に捕まえられそうになったとき、尻尾を自分の体と切り離して逃げる。
それでも結構衝撃的なのだが、このGeckolepisは、なんと鱗ごと脱ぎ捨ててしまう。
肉が露出するほどに自分の鱗を一瞬で落としてしまうのだ。
「しっぽだけじゃ逃げ切れないときあるし、いっそのこと皮膚全部脱ぎ捨ててやろうか」ていうその清さと大胆さとグロさが、さすがGeckolepisって感じだ。何て読むか知らんけど。

 

「決まりごと」を守らなくってもいいときは、それが身に染み付いてしまう前に、素早く「決まりごと」を脱いで、すっぽんぽんの自分になればいい。
Geckolepisみたいに、鱗をべらべらと剥がしてつるっつるになればいいのだ。
鱗は再生可能だ。すぐ生えてくる。
だから、安心して剥がしてしまえばいい。

 

社会というものに出て1ヶ月、つま先レベルで踏み出したからこそ、今感じたものがあった。
自分の正直なところの感情は何にも流されず、言葉に残していくのが自分にとっては必要な過程だなぁと思って。

at これは、洗濯機を机にしながらベランダで書いてます。

 

 

就活生の私が陥った、大人とのアブナイ関係

 
「段階ってものがあるだろ?
君みたいな田舎者の子は、東京ですぐ潰されてしまうよ。しかも、東京は住むところじゃない。まずは福岡で働きなさい。」
もう、何人の大人に言われただろうか。
私のことをすごく知ったような口ぶりだ。
30〜50代、いわゆる社会で一人前の大人とされる方達とアルバイト先で話す中で、私が鹿児島出身の大学生だということ、そして就活中だということ、さらには、私が東京へ就職したがっていることを知ると、びっくりした顔でよく言われたのだ。
 
そして目の前のお客さんも、似たようなくだりを繰り返している。
この人は、ここのバーの常連さんだ。
「東京に行きたいの?悪いことは言わないから、東京はやめておきなさい。君、何人兄弟?」
「3人姉妹の末っ子です。」
「あ〜甘えんぼうか!」
きた。このくだりも何十回と繰り返した。
この家族構成で、なぜ100パーセント甘えん坊が出来上がるのか理由は分からなけど、大人達は口を揃えて言うし、客観的に見て大人がそうだと言うのなら、私は甘えん坊で、東京では1人でやっていけないタイプなのかもしれない。
 
マスターに目で合図されたので、青色のボトルから、おかわりのウイスキーをロックで注いでやる。
「君しゃべるの遅いね。頭の回転が遅いんだよ。田舎者で甘えん坊で頭もキレないのか〜手がかかるな。」
「君、今彼氏いる?そいつ、ろくな男じゃないよ。何人も人を見てると、人相でそういうのが分かるんだ。男運悪い顔してる、苦労するよ〜。東京なんかに行ったら、君は絶対悪い男に騙される!これからは、付き合う前に友達に見せた方がいい。」
グラスを片手に、なぜか嬉しそうに話している。
私に親身になってくれているのか、けなしているのかよく分からなかったから、どういう相槌を打てばいいか分からない。
表情も、少し硬くなってしまったかもしれない。
でも、あちらの顔が本気だから、話が終わるまではこちらも真面目な顔で聞くしかない。
 
しばらく、その人の就活の思い出話を聞いていると、突然携帯を手にとって「僕なら力になれるかもしれない」と言い出した。
電話をして数分。
「フルネーム!」と大きな声で言って通話口から顔を離してこちらを見ている。
事態は飲み込めないが、反射的に「う、うえかどゆかです!」とこたえた。
どうやら、相手に私の名前をメモさせているみたいだ。
しばらく様子を伺ってわかったことは、電話の向こう側の相手は、福岡のとある会社の人事の方ということ。
電話口からもれるワードから、さらに憶測を広げようと聞き耳を立てている間に
「上門さん、ラッキーだね。面接してくれるって。僕が推すんだから、めったに下手なことしなきゃ受かるよ、安心してやりなさい。」
話は整っていた。
よく分からない会社の、人事部長との面接日が決まっていた。
「いいね、僕が言うんだから間違いないよ、まずは福岡で働きなさい。」
とだけ言って、ネクタイをキュッと締め直して、厭らしく光沢するカードでお会計を済ませて帰っていった。
その常連さんの年齢は50くらい。いただいた名刺には、九州電力の、たしか係長か部長か、そこらへんのお偉いポジションが書かれていて、周りの人達にへこへこされていた。
 
帰宅してラインをチェックすると、面接の詳細が送られていた。
日時の確認と、持ち物は履歴書に、服装はスーツ。
文末には、応援していますと一言添えてある。
なんでこんなことまでしてくれたんだろう?足長おじさんなのかな?
当日着ていく白シャツにアイロンかけてあったっけ、とクローゼットを開けたところで、一時停止した。
あれ?
大きく膨れ上がった違和感に気づいた。
 
私が東京で潰されてしまうとか、どの会社に興味があるとか、東京は住み心地がいいかとか、彼氏がどうのこうのとか、全て自分の目で見て、やってみて決めることなのに、どうしてあの人はそのチャンスを奪って、結果を見越せてしまうんだろう?
私自身、何もパーソナルなことは喋っていないのに、私について語れるのが不思議だった
そう、あの人は、私を判断できる材料も、筋合いも、何も持っていなかった。
もう、全てが説得力を持たなかった。
 
大きな違和感を持った私は、後日、謝罪と共に、面接を遠慮されていただく旨を連絡した。
3日待っても、その連絡に返信はなかったし、もう、バーで見かけることもなかった
無表情で、既読のついた「応援しています」の文字を見る。
あー、陳腐だな。
スタンプのクマがアホみたいに笑っている。
私がしたことは、ひょっとすると恩を仇で返すってやつなのかもしれない。
ここまでしてやったのに、先輩の助けを無下にするなんて生意気な学生だ、思われてしまったんだろうか。
それに、きっとこれがドラマだったら「アルバイト先での偶然の出会いが、この会社と私を繋げてくれました。ご縁に感謝です。」的なことを言う場面なのかもしれない。
 
でも、私はその彼から、風にのって飛んできた「矢」を見た。
あの厭らしく光るカードと、お偉いポジション、50年の人生経験を武器に、アドバイスという「矢」をぶっ刺してきた。
「お金も持っていて、社会的地位もあって、人生経験も上」ということを盾に、盾のない学生に「俺がお前をプロデュースしてやるよ」と言わんばかりに、プロデューサー風をびゅうびゅう吹かしてくるのだ。
未熟な学生に、社会人である大人が優しくアドバイスをするという体裁の中に、自分の正しさを確かめたい、自分好みにコントロールしたい、という思いが透けて見えた。
盾がないから、こっちは防御力0である。
理にかなっていなくても、私からチャンスを奪ってしまうアドバイスでも、心に刺さった。
 
まだ社会人でもない、もう子供でもない大学生というのは、本当に社会的に不安定な立場で、社会という大きな土台の上で、いつも振り子が揺れている。
心は大人だけど、社会的にはまだ評価されていない。
道徳心や分別は持っているけど、「働く」場面に出くわせば、まだ使いものにならないぺーぺーだ。
「もう大人なんだから」と言われることもあれば「まだまだおこちゃまだね」と言われることもある。
学生という身分も、両親からの仕送りで買ったものだ。
簡単に、大人から子供へ、子供から大人へ、見られ方が変わる。
 
そうやって、まだ社会に出ていないことを意識すればするほど、自分の未熟さに自覚があればあるほど、その分「働いている」ことは学生にとって特別で、巨大に映る。
だから、目の前で「働いている」大人が「こうだ」と言うものは、凄みが増して「絶対」になってしまう。
しかも、張本人がその体験談を語ると、リアルで感情移入しやすいから説得力が増して、強く共感してしまう。
体験談なんて全事象のたった1つなのに、まるでその体験がすべての正解なような気がしてしまう。
 
彼の話を聞くときも、違和感に気付くのに精一杯で反論することもできなかったから、言葉をそのままに受け止めてしまいそうだった。
もし、私が彼の言葉をそのままに受け止めていれば、大好きな彼氏と一緒に東京で夢を叶えることは諦めていることになる。
その言葉に従ってしまえば、私から選択肢が消えて、私らしくなくなってしまう。
今なら、わかる。
そんな言葉は、間違っている。
 
未熟なことは、当たり前だし素晴らしいことだ。
未熟って、完成形じゃないっていうこと。つまり、自分で考える余地がたくさんあるということ。
自分で考えて腹落ちした答えは、自分にしか産めない産物で、オリジナルである分、自分だけのものになるし、彼のように他人に強要するものでもない。
勝手に、自分の中でしっかりと抱いていればいい。
その産物が、きっとピンチのときに助けてくれるし、人を引き寄せてくれるし、自分らしくしてくれるんじゃないかと思うのだ。
 
就活やアルバイトをして気づいたことは、大人っていうものは、みんな言うことばらばらだし、かっこ悪い人もいるし、こちらから考えるきっかけを奪ってしまう人もいるということ。
だから、大人からのアドバイスをしっかりと自分で取捨選択して、捨ててしまった分、自分の脳みそで考えることが必要になってくる。
 
今だからこそ言えるけど、考えるよりも先に、大人の言うことを丸呑みにしていた頃の私に、「矢をよてけ、自分の産物を抱け」って言いたい。
 
 

冷凍庫には、スキンヘッドのケバブ

以前、Banksiaという街に住んでいた。
「CBD郊外のほうが治安がいいし安いのよ。引っ越し先が決まったら教えてね。」というイタリア人ホストマザーの助言どおり、次のシェアハウスは学校から電車で30分ぐらいの郊外にすることにした。決め手は、その家を初めて内覧したとき、管理人のSashが、私のためにわざわざチキンケバブを買ってきてくれていたからだった。ケバブを得意げに手渡してくれたとき「この人は私と一緒で、食べることで人と仲良くなれると思ってるタイプなのか」と、一気に親近感を抱き、好きになった。
ただ食べ物に釣られただけの単純な奴の図だが、内覧9軒目にしてやっと決まったことで安心したし、これから始まるここでの生活にワクワクしていた。

 

この管理人は、スキンヘッドの30過ぎの独身男性で、耳がこそばゆくなるほどソフトな口調だったから、初めは「もしかしてゲイ?」と、初めて会うゲイに戸惑っていた。
でも後から分かったことだが、sashの性癖なんてどうでもよくなるくらいsashは本当にできた管理人で、掃除も、シェアメイトとのコミュニケーションも女性並にまめだった。そして、sash流コミュニケーションの取り方は、出会った最初からお別れする最後まで一貫して「食」だった。
ココナッツ味のチョコレートや、近所のケバブなどをチラつかせて、私を釣る。そして釣った後は、もれなくお喋りタイムになるのだ。Sashは、私が食べることが大好きなのを知っていて、態度には出していないはずなのに私が落ち込んでいるのをなぜか察知すると、お腹を満たしながら話を聞き、ハゲましてくれるのだった。

英語しか話していないと、伝えたいことが伝えられないストレスがあって、本当に気がやむ。
今まで使ったことのない言語分野の脳の部分を使うので、意外と疲れるのだ。このストレスを感じにシドニーに来たところはあったけれども、それでも落ち込んで人と会いたくなくなる日もあった。そんな日は、決まって自分の部屋に閉じこもる。目を閉じて、手足の力を抜く。ふぅと息を吐く。だんだんと心が落ち着いてくる。コンッココン コンッココン「Hey, Yuka~! How are ya ? Are you okay ?」Sashか。何拍子だよ、そのノックのリズムは。
この独特のリズムのおかげで、ドアの向こうに立っているのはSashだと分かる。でも、今はもう英語を喋る人とは誰とも喋りたくなかった。Sashは喋るのが早いし、うまく聞き取れない。一人になりたくて部屋で大人しくしてるんだから、空気を読んで放っておいてほしい。
でも、ケバブの美味しい匂いがドアの隙間から流れ込んでくる。このソースの匂いは、ピリ辛ソースのミートケバブだ。最初は、3種類ぐらいあるソースの中から何のソースがいいか毎回聞かれていたが、3種類全て制覇したあと私がこのピリ辛ソースをリピートするようになったことを見ると、Sashはもうどのソースがいいかは聞かずに、勝手にこのピリ辛ソースを買ってきてくれるようになった。あのハゲ、また今回も買ってきやがったな。ハゲが、私が落ち込んでいることに気づいて元気づけようとしていることが見え見えで憎たらしい。まるでミルクを飲ませればたちまち泣き止んで、満足そうな顔をする赤ちゃんと同等に扱われてるように感じる。バカにしないでよね。...ただ、このケバブに罪はない。ケバブを受け取り、お礼を言って一口食べる。Sashが私の隣に座ったせいで、2人分ベットが沈んだ。ちょっぴり辛いソースと、甘い生地がよく合うな。キャベツもいい感じにしなっていて、ソースが絡んでいる。ミートもたっぷり入ってボリューミーなところもお気に入りだ。うん、納得のうまさ。Sashは私が落ち込んでいることには特に触れないが、心配そうに私を見つめている。もう、私の好みも気分もお見通しらしい。
ハゲハゲと心の中で毒づいたことを申し訳なく思って、「 I’m okay.」と短く言うと、sashは眉毛をひょいっと上げてみせ、微笑んだ。丸いベージュ色の卵に、笑顔が張り付いているみたいだ。もう絶対ゲイだろ。お腹が満たされると、心もなんだか平穏になった。心外にも、Sashの戦略にまんまと引っかかってしまった。Sashはこんな風に、私がシドニーを旅立つ最後の最後まで、色々と世話を焼いてくれた。シドニー最後の日、一番最後に会ったのもSashだった。「空港まで車を出してくれたこと」にありがとうを言うつもりだったのに、いつの間にか「今まで」ありがとうになっていた。頭の中にある、つたないボキャブラリーの中でとっておきの褒め言葉と感謝の言葉と好きを伝えた。ピリ辛ケバブのおかげで、私は落ち込んだ時も元気を取り戻せたのだ。Sashは、ハグしながら君とはもう一度会えそうな予感がすると微笑んで言ってくれた。思い出の処理には2パターンあると思っている。ゴミ箱に捨てるか、冷凍庫に入れるかだ。 ゴミ箱に入れれば、やがて回収されて粉々になって、もう二度とそれは戻ってこない。今まで、ゴミ箱には、最悪な別れかたをした元彼との思い出や、40万するビジネスクラスのフライトを間違えて取った恥ずかしい失敗や、高校時代のコンプレックスを入れてきた。でも私には、捨てられずに、冷凍庫に入れておきたい思い出もある。たまに解凍して味わいたい。鮮明に思い出して、反芻したいのだ。福岡の大名にあるケバブ屋を通ると、必ずSashのことを思い出す。大名のケバブがトリガーとなって、Sashが買ってくれていたケバブが恋しくなる。
ああ、そういえば、Banksiaがうまく発音できなくてSashに笑われていたな、という本当に些細な思い出だ。そういう些細な思い出が、私を励ます。遠い異国の、言葉もろくに通じない人が、私が落ち込んでいないか心配してくれている、また会えると信じてくれている、ということがどれほど嬉しことか。そうやって、落ち込んだときには食べ物のたくさん詰まった冷凍庫を開けるのだ。そしてこれからも、解凍したくなるような過去をたくさん作っていきたいし、冷凍庫にあるたくさんの過去がものが私の背中を何回でも押してくれるはずだ。

ふんどしと宮沢りえの乳首にeroticismを思う

 

「俺、今すごく勉強欲が高まってるんだよね。文化的なデートがしたい」 

「文化的なデートって何!」 

彼が生意気なことを言うから、いつものカラオケ経由ジョイフルデートから少しお利口さんになって、文化的なデートとやらをすることになった。 

ちょうど、福岡アジア美術館篠山紀信「写真力」の写真展があったから、私達はチケットを買うことにしたのである。一人1100円だ。カラオケに行く値段とあまり変わらない。 

篠山紀信とは、説明などいらないほどの偉人なのだが、芸術に疎い私は、名前を言われただけでは気づかなかった。 

誰もが一度は目にしたことがある、小野ヨーコとジョンレノンがキスをしている写真でお馴染みの超有名な写真家である。 

「ほら、この前一緒に行った快楽の館展を撮った人だよ」と言われ、やっと顔と作品と名前が合致した。 

恐るべし紀信。22歳女子大生にとっても、身近な存在だったとは。

去年の夏、たまたま「快楽の館」という怪し気な名前に惹かれて原美術館に足を運んだばかりであった。 

「快楽の館」と言うぐらいであるから、それはもう快楽の嵐だった。 

美女達が、紀信に言われるがまま大胆にポーズを取り、それらがセンス良く展示されてあったのだ。 

右を見て裸体。左を見て裸体。覗いて裸体であった。 

 

そんな篠山紀信が、50余年におよぶ仕事の中から選りすぐった写真の展覧会であるから、どれだけ素晴らしい作品を観ることができるのだろうと、すごく楽しみにしていた。 

どんな快楽が待っているのだろう。 

 

黒いカーテンをくぐると、壁いっぱに写真が展示されていた。 

メートル単位の巨大なものから、小窓ほどのサイズのものもある。 

それは素晴らしいものだった。 

写真1枚1枚が強いエネルギーを放っていて、またそれに心が動かされた観覧者たちのエネルギーもある。 

ギャラリーには、そんなエネルギーが満ちていた。 

おのおのが自由に、対峙する1枚に感想をぶつけている。 

「今にも動き出しそう」なんてありふれた言葉だが、まさにその表現がぴったりだった。

 

感動しながら部屋を進んでいくうちに、セクションが変わっていく。間もなくして辿り着いたのは、BODY(裸の肉体ー美とエロスの闘い) というセクションだった。 

 

衝撃だったことは、宮沢りえとお相撲さんの写真が同じ空間にあったことだった。 

宮沢りえは、全裸で芝生に座ってこちらを見つめ、はにかんでいる。おそらく18歳の頃だろう。 

胸はしっかりと膨らみ、先には桃色をした乳首がツンと上を向いている。 

向かいの壁では、国立体技場で当時のお相撲さん達が全員集合している。卒業式の時に撮るような、かしこまった写真だ。おそらく、ペリーが日本に来たときもこのような迫力を持って緊急態勢をとったのだろう。怖い。 

確かにお互いセミヌードだが、放つオーラがあまりにも異質すぎた。 

宮沢りえの、欲情する桃色の乳首を見た後、お相撲さんのたれパンダのようなおっぱいを見る。 

なんどもその2枚を行き来していると、だんだん脳が混乱してくるのだ。 

これはエロなのか? 

私の知っているヌードからどんどんかけ離れていく。 

お相撲さんの存在で、そのセクションにあるヌードの写真から、いやらしさが抜けてしまうのだ。 

これはエロでいいのか? 

お相撲さん効果で、このセクションの写真をいやらしい目で見ることができなくなっていた。

炭酸の抜けてしまったコーラのように、なんだかパンチがないが、なめらかな甘さはある。 

写真に写っている裸は、生命力にあふれていて、フレッシュで、美しかった。 

バレエダンサーの写真をみて、筋肉はこんなに隆起できるのかと、感動した。 

女性特有の優しい曲線美に惚れ惚れとした。 

そして、宮沢りえの桃色の乳首を見て、「可憐だ」とはっきり形容できる色があるのかと驚いた。 

 

コンビニの雑誌コーナーには、ヤングジャンプなどの少年雑誌が並んでいて、表紙には水着を着て上目遣いをする若い女の子が載っていたりする。汚れた作業着を着た薄らハゲのおじさん達が、缶コーヒーを買うついでによく立ち読みをしている。 

小さい頃は、コンビニの雑誌コーナーを通るたびに「ゆかちゃん見ちゃだめよ」と言われ、エロとは破廉恥なもの、ダメなもの、という認識を持っていた。 

また、大学1年生の頃にミニスカートを履いて出かけたとき、男性とすれ違うたびにちらっと脚に目を落とされるのも居心地が悪く、露出とは気持ち悪いもの、という感覚を持っていた。 

しかし、篠山紀信の提示するエロとは、肉体としての「美しさ」なのである。 

その訴えが、このBODY「裸の肉体ー美とエロスの闘い」に表現されていた。 

写っている身体は、みな堂々と佇んでいた。

こんなにも「エロ」について考える休日はなかったと思う。 

ふんどしと宮沢りえの乳首が、悪のエロを美のエロへと変えてくれた。

彼と私は、ふんどしと桃色の乳首に名残惜しさを感じつつこの篠山紀信「写真力」展を出た。 

いつもとはちょっと違う、文化的なデートとなった。

 

 

 

父の般若の面が外れた日

 
「あんなに大人っぽくないよ」
母は言ったが、鹿児島中央駅の西口から大きな荷物を抱えて出てきたのは、まぎれもなく私だ。
1年ぶりの帰郷だったから、少し雰囲気も変わっていたのだろう。
「明日はおばあちゃんのケアハウスにお見舞いに行くから」
と、迎えに来てくれた車の中で早々伝えられる。
年末は、いくら田舎な鹿児島といっても、やはり道が混み合う。
帰省は、いつも退屈だ。
時代錯誤な親戚達とのご挨拶に、結婚や就職に口うるさいご近所へのご挨拶。
実家は、いつも居心地が悪い。
四六時中聞かされる、父と母の喧嘩。
 
小さいとき、父は鬼で、母は女神のようだった。
父とはろくに会話をしたことがなく、少しでも父の気に障ることをすれば正座をさせられ、「馬鹿」だの「お前は一番出来が悪い」だの「俺をなめるな」だの、散々怒鳴られた。だけど、そんな後は必ず母が慰めてくれた。
父は私だけでなく、母とも毎晩喧嘩をしていた。
小さいながらも「なんでそんなにお母さんを傷つけるの?」の疑問で胸がいっぱいだった。
もうあれは、喧嘩というよりかは、一方的に、鋭い言葉で母のハートをグサグサ刺しているようなもんだったから、姉達も私も中学生まで、父の怒鳴り声と、母の反発にもならない声をBGMに、泣きながら寝ていた。
そして自然と、家のことを「おうち」から「実家」と呼び、避けるようになった。
 
 
帰省した3日後、母は還暦同窓会で1日中家を空けていて、父と二人きりになった。
地元の友達と出かける予定だったが、父に「出るぞ」と言われたため、友達との予定はキャンセルし、連れて行かされた先は護国神社だった。
そこで引いたおみくじは小吉で、就業の項目に「反省して適度な処へ行け」と書いてあった。
消極的な内容に落ち込んでいると「照国神社にも行くぞ」と言われ、照国神社で2度目のおみくじを引いた。
そこに就業の項目こそなかったが、大吉で、私よりも父の満足そうな顔が奇妙であり、照れ臭くもあった。
 
参拝が終わっても、父の拉致はまだ終わらない。
父の2歩後ろを無言で歩いていたら、父はちらっと私を見て「お昼を食べるぞ」と言った。
なんだか今日の父は変だ。
2人きりでの食事なんて、記憶にないことだ。
そして2人きりでこんなに歩き回るのも初めてのことだ。
お寿司を食べて、通りがかった洋服店で父の新しいコートを選んであげて、最後はケーキ屋でお茶をした。
あの強面の昭和親父が、こんな可愛らしい、コーヒーの無料セルフサービスまであるケーキ屋を知っているとは!
お互い無言でチーズケーキをつついていると、父は唐突に「気をつけていることがある」と切り出した。
「いまだ木鶏足りえず、という故事を知っているか。この歳にもなって、まだたくさん学びがある。この前の講演会でこの言葉を知ったんだけど、木鶏っちゅうのは、要するに木彫りの鶏のことで、何を言われてもどんな態度をとられても、動じずに、自分のとるべき言動、進むべき道に影響を受けない様子をたとえている。この言葉を聞いて、お父さんもまだ木鶏にはなれないなといつも反省するわけよ。」
今日はいつもより口調が穏やかで、よく喋る。会話が成り立つことに驚く。
激高癖のある父が、それを自覚し、冷静になろうと気をつけているなんて知らなかったし、気づきもしなかった。
確かに今朝は、怒りそうになってもしかめっ面をするだけで、母にトーストを焼いてあげていた。
満席のため少し待つと言われた寿司屋でも、大人しく待っていた。
私の就活の話も落ち着いて聞いてくれた。
少しずつ、私の父親像に修正が入っていく。
絶対的な存在だった父が、だんだん一人の男性として映る。
 
父は今、喉頭癌だ。孫も生まれた。
そのことが、父の価値観を変えたことは、見ていて分かった。
私が福岡で生活して、少し大人っぽくなっている間に、確かに父にも同じように時間は過ぎていた。
激しく咳込み、何錠も薬を飲む父の今の背中は、昔よりだいぶ小さい。
血の繋がった身近な存在が、遠い鹿児島で少しづつ変化していたのだ。
今まで、言われれて嫌なことはたくさんあったし、サンタさんに「お父さん」をお願いしたこともあった。
少し弱く、少し穏やかになった父に違和感は感じるが、父が変化するならば、私もそれを受け入れなければならないのではないか。
 
4月から社会人になる年の1月、いつもの憂鬱な帰省とはちょっと違って、鬼のような父の変化を見た帰省だった。