洗濯機を机にベランダから

机じゃなくてベランダの洗濯機にパソコンを置いて書いてます。どいせ洗濯機の上で作られた記事だって、さらっと読んでもらえると◎

就活生の私が陥った、大人とのアブナイ関係

 
「段階ってものがあるだろ?
君みたいな田舎者の子は、東京ですぐ潰されてしまうよ。しかも、東京は住むところじゃない。まずは福岡で働きなさい。」
もう、何人の大人に言われただろうか。
私のことをすごく知ったような口ぶりだ。
30〜50代、いわゆる社会で一人前の大人とされる方達とアルバイト先で話す中で、私が鹿児島出身の大学生だということ、そして就活中だということ、さらには、私が東京へ就職したがっていることを知ると、びっくりした顔でよく言われたのだ。
 
そして目の前のお客さんも、似たようなくだりを繰り返している。
この人は、ここのバーの常連さんだ。
「東京に行きたいの?悪いことは言わないから、東京はやめておきなさい。君、何人兄弟?」
「3人姉妹の末っ子です。」
「あ〜甘えんぼうか!」
きた。このくだりも何十回と繰り返した。
この家族構成で、なぜ100パーセント甘えん坊が出来上がるのか理由は分からなけど、大人達は口を揃えて言うし、客観的に見て大人がそうだと言うのなら、私は甘えん坊で、東京では1人でやっていけないタイプなのかもしれない。
 
マスターに目で合図されたので、青色のボトルから、おかわりのウイスキーをロックで注いでやる。
「君しゃべるの遅いね。頭の回転が遅いんだよ。田舎者で甘えん坊で頭もキレないのか〜手がかかるな。」
「君、今彼氏いる?そいつ、ろくな男じゃないよ。何人も人を見てると、人相でそういうのが分かるんだ。男運悪い顔してる、苦労するよ〜。東京なんかに行ったら、君は絶対悪い男に騙される!これからは、付き合う前に友達に見せた方がいい。」
グラスを片手に、なぜか嬉しそうに話している。
私に親身になってくれているのか、けなしているのかよく分からなかったから、どういう相槌を打てばいいか分からない。
表情も、少し硬くなってしまったかもしれない。
でも、あちらの顔が本気だから、話が終わるまではこちらも真面目な顔で聞くしかない。
 
しばらく、その人の就活の思い出話を聞いていると、突然携帯を手にとって「僕なら力になれるかもしれない」と言い出した。
電話をして数分。
「フルネーム!」と大きな声で言って通話口から顔を離してこちらを見ている。
事態は飲み込めないが、反射的に「う、うえかどゆかです!」とこたえた。
どうやら、相手に私の名前をメモさせているみたいだ。
しばらく様子を伺ってわかったことは、電話の向こう側の相手は、福岡のとある会社の人事の方ということ。
電話口からもれるワードから、さらに憶測を広げようと聞き耳を立てている間に
「上門さん、ラッキーだね。面接してくれるって。僕が推すんだから、めったに下手なことしなきゃ受かるよ、安心してやりなさい。」
話は整っていた。
よく分からない会社の、人事部長との面接日が決まっていた。
「いいね、僕が言うんだから間違いないよ、まずは福岡で働きなさい。」
とだけ言って、ネクタイをキュッと締め直して、厭らしく光沢するカードでお会計を済ませて帰っていった。
その常連さんの年齢は50くらい。いただいた名刺には、九州電力の、たしか係長か部長か、そこらへんのお偉いポジションが書かれていて、周りの人達にへこへこされていた。
 
帰宅してラインをチェックすると、面接の詳細が送られていた。
日時の確認と、持ち物は履歴書に、服装はスーツ。
文末には、応援していますと一言添えてある。
なんでこんなことまでしてくれたんだろう?足長おじさんなのかな?
当日着ていく白シャツにアイロンかけてあったっけ、とクローゼットを開けたところで、一時停止した。
あれ?
大きく膨れ上がった違和感に気づいた。
 
私が東京で潰されてしまうとか、どの会社に興味があるとか、東京は住み心地がいいかとか、彼氏がどうのこうのとか、全て自分の目で見て、やってみて決めることなのに、どうしてあの人はそのチャンスを奪って、結果を見越せてしまうんだろう?
私自身、何もパーソナルなことは喋っていないのに、私について語れるのが不思議だった
そう、あの人は、私を判断できる材料も、筋合いも、何も持っていなかった。
もう、全てが説得力を持たなかった。
 
大きな違和感を持った私は、後日、謝罪と共に、面接を遠慮されていただく旨を連絡した。
3日待っても、その連絡に返信はなかったし、もう、バーで見かけることもなかった
無表情で、既読のついた「応援しています」の文字を見る。
あー、陳腐だな。
スタンプのクマがアホみたいに笑っている。
私がしたことは、ひょっとすると恩を仇で返すってやつなのかもしれない。
ここまでしてやったのに、先輩の助けを無下にするなんて生意気な学生だ、思われてしまったんだろうか。
それに、きっとこれがドラマだったら「アルバイト先での偶然の出会いが、この会社と私を繋げてくれました。ご縁に感謝です。」的なことを言う場面なのかもしれない。
 
でも、私はその彼から、風にのって飛んできた「矢」を見た。
あの厭らしく光るカードと、お偉いポジション、50年の人生経験を武器に、アドバイスという「矢」をぶっ刺してきた。
「お金も持っていて、社会的地位もあって、人生経験も上」ということを盾に、盾のない学生に「俺がお前をプロデュースしてやるよ」と言わんばかりに、プロデューサー風をびゅうびゅう吹かしてくるのだ。
未熟な学生に、社会人である大人が優しくアドバイスをするという体裁の中に、自分の正しさを確かめたい、自分好みにコントロールしたい、という思いが透けて見えた。
盾がないから、こっちは防御力0である。
理にかなっていなくても、私からチャンスを奪ってしまうアドバイスでも、心に刺さった。
 
まだ社会人でもない、もう子供でもない大学生というのは、本当に社会的に不安定な立場で、社会という大きな土台の上で、いつも振り子が揺れている。
心は大人だけど、社会的にはまだ評価されていない。
道徳心や分別は持っているけど、「働く」場面に出くわせば、まだ使いものにならないぺーぺーだ。
「もう大人なんだから」と言われることもあれば「まだまだおこちゃまだね」と言われることもある。
学生という身分も、両親からの仕送りで買ったものだ。
簡単に、大人から子供へ、子供から大人へ、見られ方が変わる。
 
そうやって、まだ社会に出ていないことを意識すればするほど、自分の未熟さに自覚があればあるほど、その分「働いている」ことは学生にとって特別で、巨大に映る。
だから、目の前で「働いている」大人が「こうだ」と言うものは、凄みが増して「絶対」になってしまう。
しかも、張本人がその体験談を語ると、リアルで感情移入しやすいから説得力が増して、強く共感してしまう。
体験談なんて全事象のたった1つなのに、まるでその体験がすべての正解なような気がしてしまう。
 
彼の話を聞くときも、違和感に気付くのに精一杯で反論することもできなかったから、言葉をそのままに受け止めてしまいそうだった。
もし、私が彼の言葉をそのままに受け止めていれば、大好きな彼氏と一緒に東京で夢を叶えることは諦めていることになる。
その言葉に従ってしまえば、私から選択肢が消えて、私らしくなくなってしまう。
今なら、わかる。
そんな言葉は、間違っている。
 
未熟なことは、当たり前だし素晴らしいことだ。
未熟って、完成形じゃないっていうこと。つまり、自分で考える余地がたくさんあるということ。
自分で考えて腹落ちした答えは、自分にしか産めない産物で、オリジナルである分、自分だけのものになるし、彼のように他人に強要するものでもない。
勝手に、自分の中でしっかりと抱いていればいい。
その産物が、きっとピンチのときに助けてくれるし、人を引き寄せてくれるし、自分らしくしてくれるんじゃないかと思うのだ。
 
就活やアルバイトをして気づいたことは、大人っていうものは、みんな言うことばらばらだし、かっこ悪い人もいるし、こちらから考えるきっかけを奪ってしまう人もいるということ。
だから、大人からのアドバイスをしっかりと自分で取捨選択して、捨ててしまった分、自分の脳みそで考えることが必要になってくる。
 
今だからこそ言えるけど、考えるよりも先に、大人の言うことを丸呑みにしていた頃の私に、「矢をよてけ、自分の産物を抱け」って言いたい。