洗濯機を机にベランダから

机じゃなくてベランダの洗濯機にパソコンを置いて書いてます。どいせ洗濯機の上で作られた記事だって、さらっと読んでもらえると◎

葬いの顔面パックが、スタートダッシュのきりどき

夜、眠れないときがたまにやってくる。
昼寝しすぎたからとか、明日楽しみにしてる予定があってアドレナリンばんばんだからとかじゃなくて、目をつぶっていても頭だけが働いて、あれこれ考え事をしてしまう日。
やけに天井が高く感じて、暗闇と体が一体化して、もう脳みそまで暗闇に浸ってしまうんじゃないかって一瞬でも思う日。
毎日が始まって、終わって、その淡々と過ぎていく日常の合間に、こういう日がときたま訪れるのだ。

寝れないもんだから、私はしょうがなく起き上がって、小さめのライトをつける。
そして、夜な夜なスキンケアを始めたり、ヒップラインに効果的な筋トレをしたり、ラインがきてないか5分おきにチェックしだしたりする。
それが一通り終わると、やっと眠気がやってきて、気がついたら携帯を握りしめて寝落ち。
そして起きたとき、携帯を握ったまま寝ていたことと、さらに、携帯を意外と強く握りしめていたことに2度びっくりする。
こういう日。

本当は体も脳も疲れてるはずで、明日の朝「あのときの20分を、朝の二度寝用に繰り越したい」と思うことは分かりきっているはずなのに、眠気はいつもと同じリズムでやってこない。
薄暗い部屋で顔面パックして、5分おきにラインチェックとか、もうホラーだ。

眠りたいのに眠れない日。
でも本当の本当は、眠れないのではなく、眠りたくない日。
本当の本当は、しょうがなくスキンケアに勤しんでいるわけではなく、あえて勤しんでいる日。
眠気がくるまでの暇潰しでしているのではなくて、このまま今日が終わるのを勿体無く感じていて、その虚しさの埋め合わせするためにしていたのだ。
このまま目を閉じて、次開けたときに、愛すべき今日があっけなく去っていることを想像すると「惜しい」のだ。
もし、今日を完全燃焼できていたなら「惜しい」とは感じないはずだ。
二度とやってこない今日を、存分に愛した満足感と感謝で眠りにつけるんだと思う。
でも、私は今日が終わる間際になって、意味もなくスキンケアを始めたり、筋トレをしたり、SNSを徘徊したりして、完全燃焼できなかった今日を手頃なもので埋め合わせをする。
 「惜しい」と感じている自分の気持ちを、自覚させずに誤魔化すことができたら安心なのだ。
あぁ往生際が悪くて、ダサい。

完全消化できなかった虚しさとか、あっけなく終わってしまう寂しさって、本当に悲しい。
小学生の頃、夏休みのラジオ体操にちょっとだけ寝坊して行けなかったときの、午前中の手持ち無沙汰な感じと少し似ている。

パックは、私にとって、消化してあげれなかった今日への葬いの儀式。
そして、今日の終わりにパックをしたからといって、不完全燃焼な1日の清算はできない。

なぜ、「寂しい」と思っている自分に気づかなかったんだろう?

たぶん、虚しさとか寂しさとか、胸がぽっかり空くような感情は自分の中にも流れるんだと、認めたくないのだと思う。
強くあるために、そういうネガティヴな感情は邪魔なのだ。だから、そこへの感度は低い。
今日も笑顔でいるために、なるべく感じないように、邪険に扱う。

でも、醤油が料理の基本のさしすせそから外せないように、寂しさとか虚しさも感情の基本だ。

嫉妬、寂しさ、孤独、虚しさ、虚栄心
そういう重くて暗い感情は、全部現状に対する不満から来ているもので、「今に満足してないんだ」て気づかせてくれるものだ。
いつでも感情は素直で、本心に気づけよ、とサインを送り続けている。

目は背けずに、ネガティブな感情にあえてスポットを当ててみることで、満足していない強欲な自分を自覚できて、1歩、次の展開に進める。
スタートダッシュは、勢いのあるものばかりじゃない。
不満足の自覚を重ねて、じわじわ、じわじわスタートするものもある。
自分の感情の感度を低くしているからこそ、日頃のふとした行動の変化で、自分の本心を汲み取っていきたい。そうでもしないと、本心なんてすぐ逃げていく。

本心は簡単に感じれるものではない。体裁のいい、かっこいい自分を演出をるために、本心にすぐフタをしてしまいがちだから、丁寧に耳を傾けていないと、どの思いが本心か分からなくなる。

だから、眠れない夜がたまにやってきてパックをしだすようなら、「今日を愛してあげれなかった」ことの合図だと思うようにしている。

自分の本心を探れば、不満足に感じることは意外とあるもので、自分の変化のタイミングは日常に転がっている。
自覚は、変わることの合図だ。

atこれは洗濯機を机にして、ベランダで書いています。