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閉経を迎えてもなお女でいられるか問題

こっそり書いてます。ほぼ趣味。

冷凍庫には、スキンヘッドのケバブ

以前、Banksiaという街に住んでいた。

「CBD郊外のほうが治安がいいし安いのよ。引っ越し先が決まったら教えてね。」

というイタリア人ホストマザーの助言どおり、次のシェアハウスは学校から電車で30分ぐらいの郊外にすることにした。

決め手は、その家に初めて内覧したとき、管理人のSashが、私のためにわざわざチキンケバブを買ってきてくれていたからだった。9軒目だった。

管理人は、スキンヘッドの30過ぎの独身男性で、耳がこそばゆくなるほどソフトな口調だったから、最初は「もしかしてゲイ?」と思って警戒していたが、ケバブを得意げに手渡してくれたとき「この人は私と一緒で、食べることで人と仲良くなれると思ってるタイプなのか」と思ったから、一気にそのスキンヘッドが可愛らしく見えてきたのだ。

Sashは本当にできた管理人で、掃除も、シェアメイトとのコミュニケーションもまめだった。

コミュニケーションの取り方は、もちろん食だ。

Sashはだいたい食べ物で私を釣る。

ココナッツ味のチョコレートや、近所のケバブなどだ。

英語しか話していないと、本当に気がやむ。伝えたいことが伝えられないストレスがあるのだ。

このストレスを感じにシドニーに来たところはあったけれども、それでも落ち込んで人と会いたくなくなる日もあった。そんな日は、決まって自分の部屋に閉じこもる。といっても1部屋をしきりで仕切っているから、向こう側にはインド人の女の子が生活しているのだけれど。

一人で目を閉じてふぅと息を吐く。全身から力が抜けて...だんだんインド人のワキガの匂いも気にならなくなってきたぞ...

コンッココン コンッココン

「Hey, Yuka~! How are ya ? Are you okay ?」

Sashだ。何だよそのリズム。

もう、誰とも喋りたくない。Sashは喋るのが早いし、うまく聞き取れない。一人になりたくて部屋で大人しくしてるんだから、もう放っておいてほしい。今はもうYouTubeで日本のお笑いを見たい。

日本語最高。

でも、ケバブのいい匂いがドアの隙間から流れ込んでくる。あのハゲ、また買ってきやがったな。 

Sashは、私がこのケバブに逆らえないことを知っていて、態度には出していないはずなのに私が落ち込んでいるのをなぜか察知すると、ケバブをご馳走してくれるのだ。

お礼を言って一口食べる。Sashが私の隣に座って、2人分ベットが沈んだ。

ちょっぴり辛いソースと、甘い生地がよく合うな。キャベツもいい感じにしなっていて、ソースが絡んでいる。

うん、納得のうまさ。

最初は、3種類ぐらいあるソースの中から何のソースがいいか聞かれていたが、3種類全て制覇したあと私がこのピリ辛ソースしか食べないのを知ると、Sashはもうどのソースがいいかは聞かずに黙ってこのピリ辛ソースのケバブを買ってきてくれるようになった。

Sashは私が落ち込んでいることには特に触れないが、心配そうに私を見つめている。

「I love it. I’m okay.」

と短く言うと、満足そうに微笑んだ。

丸いベージュ色の卵に、笑顔が張り付いているみたいだ。本当にゲイみたい。

お腹が満たされると、心もなんだか平穏になった。Sashの戦略にまんまと引っかかる。

Sashはこんな風に、私がシドニーを旅立つ最後の最後まで、私を空港まで送り届けてくれて、世話を焼いてくれた。

空港に行く途中に、ビーチを通った。そこで車を止めると、私にプレゼントがあると言って、ボンネットに回り込んだのだ。

もしかしてケバブ?と予想して、粋なことをするSashに感動していたが、まさかのビールだった。

そこはケバブの方が思い出深いだろと内心がっかりして文句を言うと、

「It’s my style~.」

とスキンヘッドがおどけて見せた。このハゲが。

ビーチでコロナビールを2人で飲んで、最後に泣きながらお別れをした。

つたない英語で、精一杯の感謝を伝える。ピリ辛ケバブのおかげで、私は落ち込んだ時も元気を取り戻せたのだ。

Sashは、君とはもう一度会えそうな予感がすると微笑んで言ってくれた。

思い出の処理には2パターンあると思っている。

ゴミ箱に捨てるか、冷凍庫に入れるか。

ゴミ箱に入れれば、やがて回収されて粉々になって、もう二度とそれは戻ってこない。

今まで、ゴミ箱には、最悪な別れかたをした元彼との思い出や、40万するビジネスクラスのフライトを間違えて取った恥ずかしい失敗や、高校時代のコンプレックスを入れてきた。

でも私には、捨てられずに、冷凍庫に入れておきたい思い出もある。

たまに解凍して味わいたい。

鮮明に思い出して、反芻したいのだ。

福岡の大名にあるケバブ屋を通ると、必ずSashのことを思い出す。

大名のケバブがトリガーとなって、Sashが買ってくれていたケバブが恋しくなる。

「ああ、そういえば、Banksiaがうまく発音できなくてSashに笑われていたな」という本当に些細な思い出だ。

でも、そういう些細な思い出が、私を励ます。

遠い異国の、言葉もろくに通じない人が、私が落ち込んでいないか心配してくれている、また会えると信じてくれている、といことがどれほど私を強くさせてくれるか。

そうやって、落ち込んだときには食べ物のたくさん詰まった冷凍庫を開けるのだ。

そしてこれからも、解凍したくなるような過去をたくさん作っていきたいし、冷凍庫にたくさんものが詰まっている限り、私は何回でも這い上がることができるはず。