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洗濯機を机にベランダから

机じゃなくてベランダの洗濯機にパソコンを置いて書いてます。どいせ洗濯機の上で作られた記事だって、さらっと読んでもらえると◎

冷凍庫には、スキンヘッドのケバブ

以前、Banksiaという街に住んでいた。
「CBD郊外のほうが治安がいいし安いのよ。引っ越し先が決まったら教えてね。」というイタリア人ホストマザーの助言どおり、次のシェアハウスは学校から電車で30分ぐらいの郊外にすることにした。決め手は、その家を初めて内覧したとき、管理人のSashが、私のためにわざわざチキンケバブを買ってきてくれていたからだった。ケバブを得意げに手渡してくれたとき「この人は私と一緒で、食べることで人と仲良くなれると思ってるタイプなのか」と、一気に親近感を抱き、好きになった。
ただ食べ物に釣られただけの単純な奴の図だが、内覧9軒目にしてやっと決まったことで安心したし、これから始まるここでの生活にワクワクしていた。

 

この管理人は、スキンヘッドの30過ぎの独身男性で、耳がこそばゆくなるほどソフトな口調だったから、初めは「もしかしてゲイ?」と、初めて会うゲイに戸惑っていた。
でも後から分かったことだが、sashの性癖なんてどうでもよくなるくらいsashは本当にできた管理人で、掃除も、シェアメイトとのコミュニケーションも女性並にまめだった。そして、sash流コミュニケーションの取り方は、出会った最初からお別れする最後まで一貫して「食」だった。
ココナッツ味のチョコレートや、近所のケバブなどをチラつかせて、私を釣る。そして釣った後は、もれなくお喋りタイムになるのだ。Sashは、私が食べることが大好きなのを知っていて、態度には出していないはずなのに私が落ち込んでいるのをなぜか察知すると、お腹を満たしながら話を聞き、ハゲましてくれるのだった。

英語しか話していないと、伝えたいことが伝えられないストレスがあって、本当に気がやむ。
今まで使ったことのない言語分野の脳の部分を使うので、意外と疲れるのだ。このストレスを感じにシドニーに来たところはあったけれども、それでも落ち込んで人と会いたくなくなる日もあった。そんな日は、決まって自分の部屋に閉じこもる。目を閉じて、手足の力を抜く。ふぅと息を吐く。だんだんと心が落ち着いてくる。コンッココン コンッココン「Hey, Yuka~! How are ya ? Are you okay ?」Sashか。何拍子だよ、そのノックのリズムは。
この独特のリズムのおかげで、ドアの向こうに立っているのはSashだと分かる。でも、今はもう英語を喋る人とは誰とも喋りたくなかった。Sashは喋るのが早いし、うまく聞き取れない。一人になりたくて部屋で大人しくしてるんだから、空気を読んで放っておいてほしい。
でも、ケバブの美味しい匂いがドアの隙間から流れ込んでくる。このソースの匂いは、ピリ辛ソースのミートケバブだ。最初は、3種類ぐらいあるソースの中から何のソースがいいか毎回聞かれていたが、3種類全て制覇したあと私がこのピリ辛ソースをリピートするようになったことを見ると、Sashはもうどのソースがいいかは聞かずに、勝手にこのピリ辛ソースを買ってきてくれるようになった。あのハゲ、また今回も買ってきやがったな。ハゲが、私が落ち込んでいることに気づいて元気づけようとしていることが見え見えで憎たらしい。まるでミルクを飲ませればたちまち泣き止んで、満足そうな顔をする赤ちゃんと同等に扱われてるように感じる。バカにしないでよね。...ただ、このケバブに罪はない。ケバブを受け取り、お礼を言って一口食べる。Sashが私の隣に座ったせいで、2人分ベットが沈んだ。ちょっぴり辛いソースと、甘い生地がよく合うな。キャベツもいい感じにしなっていて、ソースが絡んでいる。ミートもたっぷり入ってボリューミーなところもお気に入りだ。うん、納得のうまさ。Sashは私が落ち込んでいることには特に触れないが、心配そうに私を見つめている。もう、私の好みも気分もお見通しらしい。
ハゲハゲと心の中で毒づいたことを申し訳なく思って、「 I’m okay.」と短く言うと、sashは眉毛をひょいっと上げてみせ、微笑んだ。丸いベージュ色の卵に、笑顔が張り付いているみたいだ。もう絶対ゲイだろ。お腹が満たされると、心もなんだか平穏になった。心外にも、Sashの戦略にまんまと引っかかってしまった。Sashはこんな風に、私がシドニーを旅立つ最後の最後まで、色々と世話を焼いてくれた。シドニー最後の日、一番最後に会ったのもSashだった。「空港まで車を出してくれたこと」にありがとうを言うつもりだったのに、いつの間にか「今まで」ありがとうになっていた。頭の中にある、つたないボキャブラリーの中でとっておきの褒め言葉と感謝の言葉と好きを伝えた。ピリ辛ケバブのおかげで、私は落ち込んだ時も元気を取り戻せたのだ。Sashは、ハグしながら君とはもう一度会えそうな予感がすると微笑んで言ってくれた。思い出の処理には2パターンあると思っている。ゴミ箱に捨てるか、冷凍庫に入れるかだ。 ゴミ箱に入れれば、やがて回収されて粉々になって、もう二度とそれは戻ってこない。今まで、ゴミ箱には、最悪な別れかたをした元彼との思い出や、40万するビジネスクラスのフライトを間違えて取った恥ずかしい失敗や、高校時代のコンプレックスを入れてきた。でも私には、捨てられずに、冷凍庫に入れておきたい思い出もある。たまに解凍して味わいたい。鮮明に思い出して、反芻したいのだ。福岡の大名にあるケバブ屋を通ると、必ずSashのことを思い出す。大名のケバブがトリガーとなって、Sashが買ってくれていたケバブが恋しくなる。
ああ、そういえば、Banksiaがうまく発音できなくてSashに笑われていたな、という本当に些細な思い出だ。そういう些細な思い出が、私を励ます。遠い異国の、言葉もろくに通じない人が、私が落ち込んでいないか心配してくれている、また会えると信じてくれている、ということがどれほど嬉しことか。そうやって、落ち込んだときには食べ物のたくさん詰まった冷凍庫を開けるのだ。そしてこれからも、解凍したくなるような過去をたくさん作っていきたいし、冷凍庫にあるたくさんの過去がものが私の背中を何回でも押してくれるはずだ。