結局何の方程式が最強なのか誰か教えてくれ
戸惑っている。
「1+1」は、小さい女の子が椅子に座って解いても、おじいちゃんが電車に揺られながら解いても、答えは2だけ。
数学には普遍の方程式があって、それに当てはめればどんな問題でも誰が解いても一発で正解が出る。
でも、私たちが生きるフィールドは、数学の世界のようにクリアではなくて、色々な世界どうしが複雑に絡み合っている。
その分、人の頭の中には色々な尺度があって、それぞれがそれぞれの観点で物事を見ている。
喜怒哀楽を表現することの大切さ
感情をニュートラルに保つことの大切さ
現状に満足せず、貪欲に求めることの大切さ
現状に感謝して、がむしゃらにこなすことの大切さ
こうやって、私一人だけでも場面場面に応じてたくさんの「大切なこと」を学んできた。
「大切なこと」を知っていると、何だか知恵深くなって、無敵モードに突入した気になるが、大切なことが増えるということは判断基準も増えるということだ。
そのおかげで、物事を色んなポイントから見るようになって迷いも増えている。
喜怒哀楽を表現することが大切なら、人前でも泣きたいときは泣くのが「いい」し、
感情をニュートラルに保つことが大切なら、人前で泣くのは「だめ」だ。
どの「大切」をあてがうかで、同じ泣くという行為が「いい」か「悪い」か評価が変わってしまう。
見る角度を変えるだけで、泣くことが、いいことにも悪いことにもなりうる。
モノサシが増えると当然答えも複数でるようになって。
このモノサシで計れば正解なのに、こっちのモノサシで計れば不正解だ、という具合に、どのモノサシで計るかで答えが変わってきてしまう。
一体私は、引き出しにいっぱい入っている、どれも大事なモノサシ達の中から、何を選び取って、何を捨ててしまえばいいのか。
簡単に取捨選択できない。
計るものが大きくなればなるほど、どのモノサシが適切なのか分からず、もうお手上げ状態なのだ。
いっそ、今いる環境とか、周りの人に合わせて、柔軟に手に握るモノサシを変えていければ楽でもある。
つべこべ言わず、さっさと適応してしまえば迷いも消えるし、毎日をシンプルに生きれるはずだ。
そうしてしまおうと、そのモノサシで計って、答えまでの計算式を書き上げようとするのに、途中で大きな違和感が邪魔をしてくる。
色んなモノサシをあてがってはみるが思考停止し、これじゃなかったかと、違うモノサシを手にとってはまた思考停止する。
やっぱり出来合いの即興モノサシではダメなのだ。
ありがたいことに心というのはいつでも素直で、違和感というざっくりとした感覚を持って「なんかそれやだ」とか、好感触というまたまたざっくりした感覚を持って「それはなんだかいい感じ」と、ちょくちょく訴えかけてくる。
どの判断基準を持つべきか?て、引き出しの中にあるたくさんのモノサシを選び取っては思考停止していたけど、結局は「そのモノサシじゃないよ」って違和感の信号を出してくれてた自分自身こそがモノサシだったんじゃないか?
モノサシは、手で握るものではなく、既に心の中にあるものだった。
その存在に気づくか、気づかないかのお話。
既に自分が大事にしている価値観に改めて気づいて、それを大事に大事にしていけば、もうそれでいいんだ。
ただそれだけを、大事にしていけばいいんだとふっと楽になったわけです。
at これは、洗濯機を机にしながらベランダで書いています。