洗濯機を机にベランダから

机じゃなくてベランダの洗濯機にパソコンを置いて書いてます。どいせ洗濯機の上で作られた記事だって、さらっと読んでもらえると◎

孤独について考えていた22歳の5月11日の日記が出てきた

 

孤独について考えていた22歳の5月11日の日記が出てきた。
 
2016-05-11
 
 
育ってきた環境、性質、身体つき、性別、今身を置いている環境、ひとまとめに呼んで、その人の個性。
一個ずつ、それぞれの選択肢を、意識的に無意識的に取って、個性が出来上がっていく。
そしてその個性を持って、みんながみんな、それぞれの方向を向いて歩いている。
例えば私が、美醜センスもなくて、友達もいない、何の世界も知らなかったとしたら、たくさんの選択肢が転がっているんだろう。
たった一個の選択肢で、如何様にでも染まれるんだろう。
自分の属性はなく、世界は無限に広がっている。

だけど、私はもうたくさんの選択肢を取ってきた22歳なのであって、何色かは分からないけど、染まっている。
全く違う場所から選択肢を取ってきても、きっと既に染まっている色をガラッと塗り替えることはできないだろう。

そうやって、自分のカラーができて、個が強くなっているようにも見えるけど、何かを断て去っているようにも見える。
何かを選び取るということは、同時に何かを捨てるということ。
断捨離の末に、狭い人間になっていくようで、安心できない。
他人の痛みとか、もがきとか、喜び、葛藤、悲しみ、幸せに、共感できなくなってしまうんではないかと怖いのだ。

でも、何にも染まらなければ、何者にもなれず一人なわけで、孤独なわけで。
でも、染まりきったらその色は誰とも違う私だけの色で、一人なわけで、孤独なわけで。
 
だから、人間はどうあがいても、自分の理解者は、たった自分だけだ。
人は孤独だ。
だからなんだか最近は悲しい。
 
 
誰かが、「孤独は友達」と言っていた。
孤独は怖い。
誰からも好かれる人気者でいたい。
人を理解したい、されたい。
みんなの理解者になることや、みんなから好かれることなんか、無理だと分かっているけど、無理だと分かりたくなくて、孤独から逃れるためのコミュニケーションを重ねる。
なんて虚しい。
早く孤独を飼いならしたい。